こんにちは ツナカンです。
私はふだん
適応指導教室のカウンセラー(公認心理師)として
不登校のお子さんや
子育てに悩む保護者の方
学校の先生方
の応援をしています。
不登校についてよく言われているのが
不登校は甘えじゃないの?
です。
私の意見を最初に言うと
甘えではない
です。
もっと言えば
甘えだったとしたらどうだというの?
ということなのです。
私の立場からは正直なところ
甘えかどうかを見立てても役に立たない
のです。
今回は
不登校は甘えじゃない
という考えから
私の意見をお伝えします。
この記事を読んでもらえれば
こんなことがわかります。
- 「不登校は甘えじゃない」その理由
- カウンセラーの間でも意見が分かれる「不登校と甘え」
- 「甘え」かどうかを決めようとすることの毒
- 「学校に行かなくていい」と断言できるとき
ネット上を検索すると
不登校に対して
甘えだ
甘えじゃない
の二つで
色々と言われています。
私の見方はそれらとはちがいます。
これを読んでいただければ
その理由がわかり,これまでとはちがう方法を
とることもできるようになるでしょう。
「不登校は甘えじゃない」その理由
不登校は甘えではない理由を説明していきます。
その①:「逃げ」と「甘え」は別物
以前にも,甘えと不登校について記事にしたことがあります。
甘えとは,もともとは日本人独自の考え方で
ざっくりいうと,不安な時に一体になりたい気持ち のことを言います。
この記事ではこれについて深ぼりはしませんが
学校に行けないお子さんに対して使われる甘えは
“逃げ” というニュアンスで使われているように思います。
危機的な環境から逃げるのは生き物の習性ですから
実は人として自然な反応なのです。
その②:気持ちのコスト
ある架空の不登校のお子さんの事例をご紹介します。
あることをきっかけに不登校になりました。
不登校になってもう3年,受験生になりました。
このままではいけないと思っているのに,
ゲームやYouTubeをして過ごしています。
“どうして自分はしなければならないことができないんだろう”
と自己嫌悪になります。
変わりたいのに気力がわかず
自分は世の中に甘え切っているんだと思います。
少しずつ学校に行けるようにはなっていますが
学校に戻ることを考えると不安になってしまい
やる気がわかなくなってしまいます。
そんな自分にも情けなくなります。
どうしたらよいのでしょうか…。
これを読んでどんな風に思いますか?
うだうだ言ってないで学校行け
休んでればいいだろう!
そんな風に言いたくなるかもしれません。
実は 心配はエネルギーを消費する
と言われています。
学校に行けないお子さんの多くに
どうせ学校に行ってもいやなことがある
このまま学校に行かなかったらどうなるんだろう
前にあんなことがあったからいけないんだ…
~のせいで学校に行かないんだ
自分は甘ったれているだけのダメな人間だろうか…
こんな風に心の中にはたくさんの感情が
渦巻いていることが多いのです。
田中・杉浦(2015)によると
と指摘しています。
実行機能 とは, 自分の目標に向かって行動や思考をコントロールする力
のことです。
そして 反芻(はんすう) とは 頭の中で何度も同じことを考え続けてしまうこと
です。
この 反芻は,脳のエネルギー(注意資源)を食う ことがわかっています。
つまり心配しないように,悪いことを考えないようにすることで
かえって “やる気エネルギー”がうばわれてしまう
ということです。
また 心配していると疲れるから何かをしている方が良い とも言えます。
他にこんなことも言われています。
- 未来の思考は過去の思考よりも認知資源が必要
- 利用可能な資源が少ない条件では未来の思考への生起確率減少
- 認知負荷がない条件では未来の思考の生起率が高い
- 心配(未来の思考)が統制不能と感じられ心身の健康に影響を与える
飯島・丹野(2012)に一部筆者改定
もっとわかりやすく説明すると
- 将来のことを考えるのは過去のことを考えるよりエネルギーを使う
- 何かに集中している方が将来のこと(心配事)を考えにくくなる
- ぼんやりしている時は将来のことを考えやすくなる
- 心配ごとは無力感となり,心身の健康に影響を与える
と解釈してよいと思います。
ですから,心おきなく休めているのでもなければ
エネルギーは消耗し続けているし
逆に,
悩みがなく一つのことに集中している方が“やる気エネルギー”は出しやすい。
つまり,不登校だってエネルギーを消耗するのです。
これがわかれば,最初の事例の子が
無気力になって行くのもわかるでしょう。
カウンセラーの間でも意見が分かれる「不登校と甘え」
私は基本的に「学校に行かなくていい」とは言いません。
その理由についてご説明します。
不登校をめぐって
スクールカウンセラーやお医者さんから
不登校という形で甘えを表現しているのでしょう。
甘えを受け入れてあげましょう。
今は休ませてあげて,家で安心させてあげましょう。
という提案がよくされます。
このようにスクールカウンセラーでも
不登校と甘えを結び付けて考える人は多いと思います。
こうした見立てを否定はしないのですが,
どこか引っかかるものがあります。
そんなアドバイスをされたときに
親御さんはこんな風に考えるのではないでしょうか
学校に行くかどうか,いつまで子どもに任せるの?
学校に行かないことのデメリットは?
そんな風に考えるのが自然だと思うし
学校を休むことを勧めることの責任は?
とも思ってしまうのです。
結果は全て本人と家庭が引き受けることになるのです。
第三者から勧められることで
選択肢が増えることがあるかもしれませんが
休ませた責任はアドバイスをした人は取れないのです。
甘えを認める,認めないという考え方は
甘えが足りないから学校に行けず,
学校に行けないということは甘えが足りない,
甘えが足りないから学校に行けない…
このように無限ループになってしまいます。
これを 循環論 と呼びます。
結局のところ,「甘え」を否定しているか
肯定していないかの差でしかなく
具体的な解決策を見出すのは難しくなります。
私自身は学校に行けないならいけないところからでよいので
そこからどの程度,学校と関わるかを加減する
のが良いと考えています。
「学校に行かなくていい」の毒
不登校は,一時期平行線をたどった後
近年増加傾向にあります。
その理由としてよく言われているのは
子どもの個性が尊重されない,時代遅れの集団教育
というものです。
確かに時代についていけていない側面はあるでしょう。
特に私が適応指導教室でお子さんたちと関わっていて
学校に不足していると思うのは
- 金銭教育
- 性教育
- ネット教育
- プログラミング
です。
これらを使って
時代を切り開いていくイメージが持てていないのです。
それでもまだまだメリットがあります。
- 栄養価の高い給食
- 低くない水準の教育が超安価で受けられる
- 他者とのコミュニケーション体験
私は海外で教育について学んだわけではないので
比較する基準はないのですが
少なくとも日本人として生きていくうえで
未だに大きなメリットも持っているのです。
これを簡単に切り捨てて
「学校に行かなくていい」
とはなかなか言い出せません。
ICT教育もようやく始まりました。
これからは学校とほどほどに付き合う
という時代が実現することを期待しています。
「学校に行かなくていい」と断言できるとき
このように学校に行くのはしんどくても
行かなければデメリットもあります。
しかし,学校に行かなくていい,というか
行くべきではないとき,というのがあります。
それは虐めなど 心身に危害が及ぶとき です。
心身の安全が図れるまではむしろ行くべきではないでしょう。
まとめ
以上,不登校は甘えではない理由
について解説しました。
改めて本音を言うと
甘えか,甘えではないかはどうでもいいのです。
極端なことを言えば
不登校が甘えだっていいのです。
そんな議論にエネルギーを使っているくらいなら
学校とのかかわりをどの程度にするか
を具体的に考える方が意味があると思います。
一本筋が通っていれば
学校に行っていない時間も意味があるものになります。
この記事が
不登校は甘えかどうか
で悩んでいるお子さんや親御さんのお役に立てれば幸いです。
質問・感想やご相談は以下のリンクまで
お気軽におよせ下さい。
引用文献
・田中圭介・杉 浦 義 典(2015)実行機能とマインドフルネス.心理学評論, Vol. 58, No. 1
・飯島雄大・丹野義彦(2012)認知的負荷がマインドワンダリングの時間方向に及ぼす影響.232 心理学研究 2012 年 第 83 巻 第 3 号 pp. 232
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